











|

鳥取県日野町のヘルニア治療施設の情報が登録されていません。

地震の夜の思い出 地震の夜の思い出 地震報道を見ていたら8年前を思い出したのでちょっと。 わがふるさと鳥取県日野町は、鳥取西部地震の最大震度を記録した被災地です。 震度6強、そのゆれの規模は阪神大震災とほぼ同等だったらしいです。 あれは、20年に一回の村の大きな秋祭りを3日後に控えた10月6日の昼過ぎ。 私は、広島市内の某病院にて勤務中。 広島も結構大きく揺れたので、これは大変!とあわてて病棟ホールのテレビに患者さんと一緒に釘付け。 すると、震源は「鳥取県日野町」と 患者さんたちに「落ち着け落ち着け」と励まされながらとりあえずテレビに見入る。 もちろん、電話はまったく通じない。 そしてなかなか被災地の状況がわからないままに時間がすぎ ようやく日野町役場と電話がつながりました・・・とアナウンサーの声 テレビから流れてきたのは 役場勤務の松本さん=友人のお父ちゃんの声。 おぉ、おじちゃん、ひさしぶり〜なんて思ってる場合ではない。 そして松本さんが言うには 日野町濁谷にて、生き埋め1名 と うちの実家のあ
金持神社 なにげな〜くヤフオクで検索キーワードに「神社」って打ったら… こんなんに出会いました。↓↓↓ http://www.kanemochi-jinja.net/ 金持神社って…。現在、扇子を入札中…(ヶ天ヶ) お金がお金を呼び寄せる!?廃棄処分される本物の古紙幣(1万円札)の裁断品が手漉き和紙の中に。鳥取県日野町の金持神社監修で「お金に困りませんように」と意味を込めた、縁起のいいフクロウ(不苦労)柄の扇子です。 <金持神社>おしどりで有名な鳥取県日野町にある大変縁起の良い名前の神社。 天之常立尊(あめのとこたちのみこと)、八束水臣津努命(やつかみずおみずぬのみこと)淤美豆奴命(おみずぬのみおと) 天常立尊を御祭神とする全国でも数少ない神社で、開運、国土経営、国造りの神様をお祀りしており、開運、特に金運にまつわる事例に事欠かないお社です。
E感じ♪ 今夜の劇団稽古は夏公演の本読みを実施。 作家のおきたさんが奮闘し、改訂版があがってきました!! BRAVO!! 前版のも面白かったけど、改訂版は更にいい感じ、いやE感じ♪です(^^) (もったいないかなぁ・・・?)とかって感じていたキャラのシーンが増え、 そのキャラのバックボーンが見えやすくなっていて気持ちよかったです☆ お話は「ど」ファンタジー!! 笑かして、泣かせて、萌えさせる!!・・・ことが出来ればいいな☆ お芝居くらぶ さん・ふぃーるど(^0^) 2008年夏公演 『SETSUNA TO SOLA 〜せつな と そら〜』 2008年8月2日(土) 19:00 開演 3日(日) 14:00 開演 会場は鳥取県日野町、ホール 森の音楽隊(日野町文化ホール) 料金やチケット販売開始時期についてはまた報告いたします。 宜しくどうぞ(^^)/
決意!(^^*) こんばんぱω゚)ノ☆フェイントかけて今に更新記事を書くことに… 長距離運転ひさびさやってΣΣ(゚д゚lll)あわや追突!かと冷や冷やな思いで。 渋滞大キラい(・m・*)★ 墓参り後、わたしは以前からおかんより頼まれていたある場所へ付き添いドライブを決行してきた。 場所は鳥取県日野町 通称「日本でいちばん縁起の良い名前の神社」とある? 以前山陰西部にある白崎さん以来の神社参り、 わたし個人的には白崎さん参りまた行きたかったのですが… 日程調整や体力的な面、あと予算的なことも…? 島根の益田というところへもいってみたいな*:.。☆..。.(´∀`人) 鶏卵饅頭〜けいらんまんじゅう (^-^)(ノ^-^)ノ でしたが今回は鳥取まで(^^*)またいつか行こう 金持(かもち)神社の看板が見えた 「ここだ」 ツーリングのバイクが何台も通過して行った わたしは御札所のある建物横へ車止めて周囲を見渡す 無いね…神社?? 田んぼと川の見える風景 よ〜く見ると橋がかかっていて小道の向こう
保険料控除証明書(その2) 会社員の人の場合は年末調整の時に一定の額が所得から控除されるしくみになっています。保険料控除には生命保険料控除もあります。自営業の人などは、確定申告の時期に行うことになります。 せっかく払い込んでいる保険料ですから公的に控除されるものは申告してお金を控除してもらったほうが絶対にいいので、控除申請を怠らないようにしましょう。所得税というのは申告しないと控除がされないので、自分が入っている保険の種類や保険料を保険料控除証明書と共に申告しなければいけません。これは納税者がきちんと生命保険などの保険料を払っていたときに、控除される制度です。 所得税のせ名保険料の控除額は15000円以下の場合は支払った保険料の全額が返ってきますし、70000円以上保険を支払っている場合には、35000円一律で控除されることになっています。年末調整の時期には用紙に申告することで控除されるので保険に多数加入している人は合算して70000円以上の人は35000円控除されるということになります。 保険料控除証明書というのは、年末にかけて保険に入っている人の家に届く葉書や封筒の中に入っているのが保険
長傳山延暦寺 (伯耆三十三観音霊場十一番) 長傳山延暦寺 (伯耆三十三観音霊場十一番) 2008-05-17 06:14:56 | 3-3伯耆三十三観音霊場 長傳山延暦寺 伯耆三十三観音霊場十一番 (鳥取県日野町根雨) 準提観世音菩薩 (えんにふれ古きこととふ有がたや名もうづ高き宝仏の山) 伯耆観音霊場の由来】 伯耆観音三十三霊場はこの寺を第十一番とし,その由来は,延享元年雲光寺の開基檀頭で,鳥取県南部町田住吉持家の先祖が,長者原(鳥取県伯耆町)の開拓のために溝口町中祖付近より延々10キロのおよぶ水路(佐野川)の完成を祈願したことによります。 延暦寺に通じる道の入口です。 延暦寺本堂正面です。 伯耆霊場三十三観音十一番札所です。 延暦寺の全景です。 延暦寺は,根雨の町東側,伯備線根雨駅から徒歩2〜3分の所にあります。 根雨は昔「玉鋼」の生産で栄えた町で今でもその面影を所々に残しています。 参拝に併せて町を散策されるのもよいと思います。また,近くに「開運・金運」で有名な金持神社もあります。
瑠璃光山 泉龍寺 伯耆三十三観音霊場十番 瑠璃光山 泉龍寺 伯耆三十三観音霊場十番 2008-05-16 08:13:38 | 3-3伯耆三十三観音霊場 瑠璃光山 泉龍寺 伯耆三十三観音霊場十番 (鳥取県日野町黒坂) 如意輪観世音菩薩 (音にきく山は高根の雲間より龍王たきの水のしらたま) 伯耆観音霊場の由来】 伯耆観音三十三霊場はこの寺を第十番とし,その由来は,延享元年雲光寺の開基檀頭で,鳥取県南部町田住吉持家の先祖が,長者原(鳥取県伯耆町)の開拓のために溝口町中祖付近より延々10キロのおよぶ水路(佐野川)の完成を祈願したことによります。 龍泉寺参道正面から写したものです。 龍泉寺山門正面です。 龍泉寺本堂正面です 龍泉寺山門を背にして写したものです。 龍泉寺は,昔の宿場町黒坂の東側にあり,伯備線黒坂駅からは徒歩で10分程度かかります。
医雲山 長楽寺 伯耆三十三観音霊場九番 医雲山 長楽寺 伯耆三十三観音霊場九番 2008-05-14 06:37:25 | 3-3伯耆三十三観音霊場 医雲山長楽寺 伯耆三十三観音霊場九番 (鳥取県日野町下榎) 聖観世音菩薩 (はるばるとのぼればここに長楽寺庭のいさごもきよきいけみず) 伯耆観音霊場の由来】 伯耆観音三十三霊場はこの寺を第九番とし,その由来は,延享元年雲光寺の開基檀頭で,鳥取県南部町田住吉持家の先祖が,長者原(鳥取県伯耆町)の開拓のために溝口町中祖付近より延々10キロのおよぶ水路(佐野川)の完成を祈願したことによります。 長楽寺は,平安の昔鵜池畔にあり,山下の村々を荘園とし,十二坊を有する巨刹であった。 源平相剋の折,焼き討ちにあい堂寺は焼失したが,その折,仏像を背負い難をのがれたと伝えられている。 平家滅亡後,長谷部信連により,古寺と呼ばれる地へ移転再興されましたが,永禄年中再び兵火にあい焼失,慶長年間現在地に移り,郡中の祈願所とした。寛政二年冬庫裡を焼失,寺宝,記録等悉く失った。 薬師如来,日光,月光の両菩薩の三尊菩薩は平安時代の代表作で,国内十九ケ
宝仏山 5/5日 鳥取県日野町から宝仏山に行って来ました。 連休中なれど夫婦で出掛けられるのは今日のみ 天気は今一だったのですが...大崩れはないと見て出発 メンバーはkanayamaさんとNIOx2 日野町役場に駐車し 8時15分宿場町の旧出雲街道を歩いて登山口へ 歴史民族資料館が登山届けの受付となっている 記帳してすぐ右側の登山道を登る 資料館より杉林を5分程で林道に出る ここから山道となる なにやら珍しい植物を見つけたようです。 植林帯を抜けると広葉樹の林となる 新緑が気持ちいい 登山道周辺にはチゴユリ、トキワイカリソウが咲いていた。 小平(こなる)という場所は案内板が有り分かったが、大平(おおなる)は良く分からず ただ、小平から次第に傾斜が急になり ヒノキの植林帯とその上の潅木帯突破に息を切らす 稜線に出ると視界が開ける 大山方面は下部 晴れ、上部 雲の中(大山では良くあることです) 日野町役場を出発して2.5
金持神社 2008年02月27日 金持神社と書いて(かもちじんじゃ)と読みます。 22日 オシドリを写しに行ったついでに寄って来ました。 御祭神 : 天乃常立尊あめのとこたちのみこと、八束水臣津努命やつかみずおみずぬのみこと 由来 : 810年出雲の神宮の次男が、伊勢神宮参拝のためこの地を通りかかったところ、お守りとして身に付けていた神前の目付の玉石が急に重くなりました。 そして、この地に宮造りするよう神夢があったので、宮造りしたと伝えられています。 金持姓のもとになった地名がこの地だそうです。 マウスオンして下さい。画像が変ります。
|
|
|